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手塚治虫



生誕90周年を迎えた手塚治虫の描いた名作「ブッダ」と「小さいふ。」がコラボ。印象的な「悟り」のシーンを大胆にデザインした小さいふを発売。発売を記念して父の日特別インタビューを公開。
PROFILE

手塚るみ子
プランニングプロデューサー。手塚プロダクション取締役。漫画家・手塚治虫の長女として生まれ、広告代理店に入社。
手塚氏が亡くなった後、手塚作品と手塚イズムを国内外へ、そして未来へ伝えるため「私のアトム展」や「手塚治虫文化祭〜キチムシ」などのイベント企画をはじめ、MUSIC ROBITAという自主レーベルを立ち上げ手塚作品とミュージシャンのコンピレーションアルバムやプロデュースを行うほか、火の鳥のコラボスカジャンの製作など、さまざまなジャンルとのコラボレーションも積極的に行っている。


手塚治虫
1928年11月3日、大阪府生まれ 本名 手塚治。1946年4コママンガ『マアチャンの日記帳』でデビュー。1947年ストーリーマンガ『新寳島』を発表。新しい漫画の時代を築いて常に戦後漫画界の第一人者として活動すると同時に、後進のマンガ家達にも多大な影響を与える。1962年に虫プロを設立し、1963年国産初の30分連続TVアニメ『鉄腕アトム』の放送を開始する。アニメの世界でも開拓・発展にも多大な功績を残す。1989年2月9日、60年の生涯を閉じる。


※手塚治虫の「塚」の字は、正しくは旧字体(塚にヽのある字)となります


手塚るみ子さんの父親は、言わずと知れた「漫画の神様」手塚治虫氏。
漫画への、そして作品の根底に流れる人間への惜しみない愛。
劇画やアニメーションなど新しい表現手法を意欲的に取り入れ、自身の作風をも時代に合わせて日々進化させ「100歳まで描き続けたい」と語る意欲的な精神。
常に連載を何本も抱えながら(ピーク時は10本以上!)毎週のテレビアニメをつくるなど、多忙を極めた氏ですが父親としてはどのような人物だったのでしょう。
父の日特別企画として、手塚るみ子さんに「父親としての手塚治虫」を尋ねました。
Q.お父さんとの一番の思い出は?
BFとの結婚を母に反対されて、強引に家を出ようとしていた時に、父に呼ばれて二人きりで食事をしました。
父と二人で色々と話をして「とりあえず一度うちを出てやってみるか」と同棲を許されたこと。

あれが最初で最後の父娘での食事であったし、何より父が自分たちの恋愛に対して理解と協力をもってくれたことが嬉しく、色々あるなかで一番思い出深い出来事になります。
Q.最も尊敬しているところは?
漫画家としてその人生をかけてあらゆる作品を描きつづけ、世代を越えて多くの人に影響を与えてきたこと。
Q.何か特別な教育方針はありましたか?
子供たちには決して怒ることや咎めることをせず、とにかく好きなことを好きなだけやらせてくれる父親でした。

また子供の好奇心にまかせて色々なことを認知・体験するように、いい意味で放任主義でした。
父の考えでは、子供にとっての夢や希望を大人が理不尽に奪ったり、その子の素質や将来を決めつけたりすることをしない。

大人は経験から子供が危なっかしい道を進んでいたら、止めさせる、あるいは正しい道を示してやる・用意してあげることをしがちですが、そうではなく子供には好きな道を自らの足で歩ませてやる。
その結果、失敗や挫折をするようなことがあってもそれは自ら招いた結果であって子供も納得がいく。
そこで体験した辛さや悔しさが彼らの経験知となる。

子供が道を誤った時や痛い目を見た時に、帰ってこれる場所を用意してやること。
挫折から再起して別の道を歩もうとした時はその背中を押してやること。
それが親の役目だと思っていたようです。
Q.お父さんの事を何と呼んでいましたか?
「おとうさま」です。手塚家では昔から「〜さま」呼びでした。
Q.お父さんを喜ばせた事、逆に困らせた事があれば教えてください。
中学校の時にブラスバンド部に入部して熱心に活動していましたが音楽が好きな父にとって娘が自分と同じく音楽に夢中になってることが嬉しかったようです。
あと初めてのボーナスで両親に腕時計を買ってあげましたが、漫画家の父は執筆の邪魔になるからと腕時計をしないのですが、喜んで受け取ってくれて入院していた病室のベッドの脇にもずっと置いていたようです。

困らせたことは山ほどあって書き切れません。
Q.世の中のお父さんにメッセージを一言お願いします。
仕事と家庭の両立は本当に大変だと思います。
お疲れ様です。

子供と過ごせる時間には限りがあると思いますが、たとえ少ない時間であっても父親と一緒に楽しいことをした、楽しい時間を過ごした思い出が子供にとっては一番の栄養。
心や感性を育む要素になると思います。
色んなところへ、印象に残るようなところへ、子供と一緒に出かけていってください。

手塚るみ子さんに「父としての手塚治虫」のお話を伺い、氏は本当に深い愛情を持って子供たちに接してこられたのだとしみじみと感じ入りました。

「辛さや悔しさが彼らの経験知となる。」そして同時に「帰ってこれる場所を用意してやる。」
るみ子さんが「いい意味で放任主義」と話す、子供は一人の人間であり無限の可能性を生れながらに持っているかけがえのない生命であるという、氏の作品の中でも度々出てくる「いのちの哲学」をまさに自身で日々実践されていた「漫画の神様」は父親としても偉大な人物だったことが伺い知れます。

父親であれば「子供に尊敬されるような父親でありたい」と願うものですが、まず子供を一人の生命として尊敬の念を持つことが第一歩なのかもしれません。

手塚るみ子さん、貴重なお話をありがとうございます。


父の日のプレゼントにもぴったり
2018年6月9日(土)
21時発売





(世の不条理に絶望する男へ)
木や草や山や川がそこにあるように
人間もこの自然の中にあるからには
ちゃんと意味があって生きている
あらゆるものと…つなかがりを持って!
もし
おまえがいないならば何かが狂うだろう
おまえは大事な役目をしているのだ
(ブッダ 第3部 第13章 ヤタラの物語より)



シッダルタが悟りを開き、ブッダとして覚醒する
作品の中でも印象的なシーンを
モチーフにした小さいふ




※手塚治虫の「塚」の字は、正しくは旧字体(塚にヽのある字)となります
(C)手塚プロダクション