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ファーブル生誕200周年記念
小さいふ。ペケーニョ「 SCARABE スカラベ フンコロガシ」 6月4日 虫の日に発売
FABRE
INSECT
DAY
PROFILE
ジャン・アンリ・ファーブル
1823年12月21日 - 1915年10月11日フランスの昆虫研究家,博物学者。南仏ルーエルグ山地の村 サン・レオンに生まれる。昆虫の行動研究の先駆者。代表作「昆虫記」を著した。
虫の日(6月4日)
虫好きで有名な漫画家・手塚治虫らの呼びかけで1988年(昭和63年)に設立された日本昆虫クラブが「虫の日」を制定。昆虫が住める街づくりを目指している。その後、虫の著書が多数あることで虫好きで知られている学者の養老孟司によって2018年に「虫の日」が日本記念日協会に認定・登録される。
現在日本中、世界中で虫が減りつつあります。世界では年間で500万ヘクタールの森林が無くなっており、その速度は日本の森林の総面積2500万ヘクタールであれば5年間で全てなくなるという勢いです。
虫が減っているのはこの森林の減少と農薬も関係あると言われています。自然の中で虫を捕まえる時間は自然や生物や命という大切なことを肌身で感じる大切な時間でもありました。虫取りができるというのは自然が豊かなだからこそですね。
「小さいふ。SCARABE フンコロガシ」
「ファーブル昆虫記」で有名なアンリ・ファーブル生誕200周年を記念して、ファーブルの愛した虫「スカラベ SCARABEフンコロガシ」のデザインの小さいふを6月4日の虫の日に発売します。
ファーブルといえばフンコロガシを連想するほど「昆虫記」の中でも一番印象的なエピソードです。フンコロガシという呼び名は俗称で、正式にはスカラベ・ティフォン、和名はタマオシコガネになります。
表にはそのスカラベとファーブルの言葉「It’s to know to see. 見ることは知ることだ。」をデザイン。地道な観察によって未知の世界を謎解き、自然の摂理の素晴らしさを伝えたファーブルらしい言葉です。
ミニマルな暮らしにフィット
小さいふペケーニョはにっこり笑ったスマイルを思わせるツートンカラーのデザインで人気の小さいふ。
お札とカードとコインがたくさん入るコンパクトなお財布は、ジャケットのポケットやカバンの中でも邪魔にならないので、これからのミニマルな持たない暮らしにもフィットします。
手のひらサイズながらお札は約10〜20枚・コインは約20〜30枚・カードポケット2箇所:約6〜9枚。必要なものは全て入ります。
【SPEC】
サイズ:横9.2cm×縦7.5cm
厚み:2cm
重さ:50g
VIDEO
ファーブル生誕200周年
「小さいふ。SCARABE フンコロガシ」の背面にはフンをころがすスカラベの姿と「The one as actuality is something always to stick out of the formula.現実というものは、常に公式からはみ出すものだ。」というファーブルの言葉が入っています。
ダーウィンはファーブルを「類稀まれなる観察者」と高く評価しましたが、ファーブルはダーウィンの進化論には批判の立場を取りました。
たゆまぬ努力と忍耐,そして何よりも深い愛情をこめて虫を観察し,事実を目の前にして推理と実験を重ねて昆虫の本能と習性をつきとめていったファーブル。鋭い洞察力を持つファーブルは、進化論は不完全で証明されていない仮説としました。
エジプトの聖なる虫
フンコロガシは動物のフンを玉にして逆立ちをしながら後ろ足で蹴るように転がしていくというユニークな行動をします。この珍しい光景は数千年前からエジプトの人々も知っていましたが、その生態をはじめて紹介したのがファーブルでした。
古代エジプトの人々はスカラベのタマを転がす姿を見て、その神秘性から日輪の回転を司る太陽神ケプリの化身と見なしました。太陽神ケプリは体は人間で頭がスカラベという姿をしています。
エジプト神話の中で太陽は生命の創造の象徴だとされており、昆虫記にも出てくるフンコロガシの作るなし玉から生み付けた卵が孵って生命が出てくることから、スカラベは自分自身を創造する太陽神を象徴するものとされました。
永遠の命を求めた古代エジプトの人々の象徴として、スカラベはツタンカーメンの胸飾りをはじめ様々な装飾品にあしらわれ、死者を埋葬する石の護符にも刻まれています。
逆境の人生
ファーブルは南フランスの貧しい家に生まれ、父の家業が失敗し14歳で学校を中退を余儀なくされます。苦学してアヴィニヨンの師範学校で教師の資格を取り、小中学校の教師として職を得ます。
自然豊かなコルシカ島に4年間の赴任したことがきっかけとなり生き物と昆虫の世界にのめりこむようになります。30歳のときに博物学の学士号を取得。昆虫の生態研究をたゆまずに続け、植物や昆虫の研究論文を次々に発表。
フランスの科学アカデミー賞、レジオン・ドヌール勲章授与など高く評価されるようになりますが、ファーブルの進歩的な授業は保守的な人々から非難され妬まれるようになり40代半ばに教職を辞職することとなりす。
昆虫記の誕生
少年少女のための化学の教科書などを書いたわずかな収入で生活を支えながら、晩年まで昆虫の研究と著作に専心する生活を送ります。長年の昆虫研究の成果を「昆虫記」として全10巻を完成させました。
その間には2人の妻と6人の子供たちにも先立たれるという辛い経験をしています。
「苦しんでいるものにとって、仕事ほど大きな慰めはないのではないだろう。」
「1分間の休む暇さえないほどに働くこと。これほど幸せなことはない。働くこと、これこそが生き甲斐である。」
昆虫の研究はファーブルの人生を支える生き甲斐となり、それによって世界に貢献できたファーブルは幸せだったに違いありません。
ファーブルの様々な功績に対してロマン・ロラン、メーテルリンクなどのファーブルを支持する文豪や学者からノーベル文学賞を与えるべきであるという声が上がったというエピソードも残されています。
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