お知らせ
ページの表示が遅い、決済が完了できなどのエラーがございましたら申し訳ございませんがメール(info@quatrogats.com)または電話(050-1441-7419 / 平日:10〜20時)までご連絡をいただけますでしょうか、即時に対応させていただきます。
猫好きの浮世絵師
歌川国芳
×
QUATROGATS
2.22日は猫の日
2.22日はニャンニャンニャンで猫の日です。
「クアトロガッツ(4匹の猫)」の名前を持つ猫好きレザーブランドとして、今年も猫にまつわるデザインが登場する「クアトロガッツの猫祭り」を開催します。
クアトロガッツの猫祭り2023はこちら
猫好きの浮世絵師 歌川国芳×小さいふ
江戸時代に活躍した猫好きで知られた浮世絵師 歌川国芳の作品「猫飼好五拾三疋(みゃうかいこうごじゅうさんびき)」が小さいふに。
素材の栃木レザー「素-su-シリーズ」のヌメ革は栃木レザーヌメ革の中でも、鞣したままに近い一番自然でナチュラルな革です。
東京オリンピックの体操競技のあん馬の競技器具には同じ革が使われています。使うほどに飴色の色の変化と艶が味わえる革。自分だけの色に育ててみてください。
ミニマルな暮らしにフィット
※ここから下は商品説明用の共通のイメージとなります。お届けする商品の色と異なりますのでご理解くださいませ。
お札とカード、名刺とコインがたくさん入るコンパクトなお財布は、ジャケットのポケットやカバンの中でも邪魔にならないので、これからのミニマルな持たない暮らしにもフィットします。
手のひらサイズながらお札は約10~20枚・コインは約20~30枚・カード:約6~9枚。必要なものは全て入ります。
SPEC
サイズ:横10cm×縦8cm
厚み:2cm
重さ:50g
PROFILE
歌川国芳 うたがわくによし
(1798-1861)
歌川国芳は江戸時代後期に活躍した浮世絵師。「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」シリーズの勇壮な武者絵で成功し、名所絵の広重に対して武者絵の国芳と称される。ユニークでコミカルな作風で「奇想の絵師」と呼ばれ名作を多数残す。多くの弟子を輩出した。
左:歌川国芳「滝夜叉姫と骸骨の図」右:歌川国芳「みかけハこハゐが とんだいゝ人だ
」
東海道五十三次×猫×ダジャレ
「其まま地口猫飼好五拾三疋(そのままじぐち みゃうかいこうごじゅうさんびき)」の「地口」とは語呂合わせのことで、つまり「ダジャレ」のことです。
東海道五十三次の宿場町の名前とダジャレを掛け合わせながら愛嬌いっぱいの猫たちが描かれています。
東海道五十三次の始点から終点まで「上・中・下」合わせて五十五図の猫たちの姿が描かれているこの作品。その土地の名産なども描かれているので、猫の姿を楽しみながら東海道を旅することができます。
ちなみにクアトロガッツの工房は旧西国街道の宿場町「椿の本陣」のそばにあります。かつては旅人のための旅籠、木賃宿、茶屋、商店等が建ち並んだ場所に、旅好きが高じて小さいふを創っているクアトロガッツがあると思うと不思議な面白さを感じます。
大阪府茨木市「椿の本陣」
歌川国芳「其まま地口猫飼好五拾三疋」
其まま地口猫飼好五拾三疋(上)
其まま地口猫飼好五拾三疋の「上・中・下」それぞれの始点と終点の猫の図をピックアップしてご紹介します。
一.日本橋(にほんばし)
カツオ節を2本ひっぱり出して「2本だし」
十九.江尻(えじり)
カツオ節を抱えて丸「かじり」
歌川国芳「其まま地口猫飼好五拾三疋(上)」
其まま地口猫飼好五拾三疋(中)
二十.府中(ふちゅう)
好きな魚に「むちゅう」
三十九.岡崎(おかざき)
年老いた猫が「おがさけ」て猫又に。
(当時年老いた猫は尾が裂けて猫又という化け猫になって悪さをするといわれていた)
歌川国芳「其まま地口猫飼好五拾三疋(中)」
其まま地口猫飼好五拾三疋(下)
四十.池鯉鮒(ちりゅう)
凛々しい佇まいで「きりょう」(器量)がよい。
五十五.京(きょう)
猫にくわえられたネズミが「ぎゃう」
歌川国芳「其まま地口猫飼好五拾三疋(下)」
猫が日本にやってきた日
猫は奈良時代に仏教の経典と共に中国から船に揺られて日本にやってきました。経典がネズミに食い荒らされるのを防ぐために入れられたのが唐猫(からねこ)だったとされています。
平安時代には源氏物語の中に紐につないで貴族に飼われている唐猫のエピソードが描かれています。
ペットとして庶民に親しまれるようになった猫ですが、家の中で家族のように暮らす可愛いペットである反面、自由気ままで夜行性、死ぬときに姿を隠すなど謎めいたところが多いことから、江戸時代には化け猫の伝説が生まれ歌舞伎でも上演されました。
左:西川祐信「源氏物語図 若菜上」右:歌川国芳「見立東海道五十三次 岡部 猫石の由来」
猫だらけの国芳塾
鳴かず飛ばずで兄弟子のところに居候をしたり住まいを転々としていた国芳ですが30歳で水滸伝のシリーズの成功によって人気絵師の仲間入りを果たします。自分の住まいを持つようになり、国芳塾は沢山の弟子と猫たちで賑わうようになります。この頃から作品に猫が姿を表すようになります。
後に画家となる河鍋暁斎が幼い頃に入塾した時の様子を描いた「暁斎幼時周三郎国芳へ入塾ノ図」には沢山の猫に囲まれる国芳の姿が描かれています。
左:河鍋暁斎「暁斎幼時周三郎国芳へ入塾ノ図」右:歌川国芳「流行 猫の狂言づくし」
猫が主役に
国芳の作品では浮世絵で脇役だった猫が主役となり、活き活きと魅力的に描かれるようになります。国芳の描いた猫の浮世絵に質量とも右に出るものはいません。
国芳は自らの自画像のそばに猫を描き込むことで自分が国芳であることを暗に表したり、画号を入れられない作品には「白猫斎よし吉野」「五猫亭程よし」などの画号を使うなど、国芳=猫の画家と自他ともに認める存在になります。
左:歌川国芳「たとゑ尽の内」右:歌川国芳「鼠よけの猫」
江戸っ子国芳
浮世絵師として軌道に乗った頃、運命が一変する出来事が起こります。老中水野忠邦の天保の改革の風紀粛清の号令で人情本、艶本の絶版処分、浮世絵の役者絵や美人画も禁止されてしまったのです。
こうした弾圧に対して江戸っ子国芳は浮世絵で風刺画を描くことで対抗します。
「源頼光公館土蜘作妖怪図」では、表向きは源頼光による土蜘蛛退治を描いたものに見せかけて幕府を風刺的に描きます。作品の裏側には将軍徳川家慶や当時の中心人物たちが国家危急の時に惰眠をむさぼっているとの風刺が込められています。
左:歌川国芳「源頼光公館土蜘作妖怪図」右:歌川国芳「荷宝蔵壁のむだ書」
庶民のヒーローに
そんな国芳の風刺画を謎解きした江戸の庶民は大喜びしました。描かれている妖怪たちは富くじが禁止された富くじ妖怪、噺など寄席の禁止を恨んだろくろ首など幕府に対する風刺が込められています。
国芳は幕府から何度も奉行所に呼び出されて尋問を受け、罰金刑や始末書の処分を受けました。
作品を描くことを禁止された逆風の中、国芳の風刺画は江戸の人々から喝采を浴びます。国芳はヒーローとなりその人気は最高潮に達しました。水野忠邦の失脚後、規制から自由になった後に発表された武者絵は再び大成功をおさめます。
その後、日本の浮世絵は海を渡り、モネやゴッホなどの世界の巨匠たちに影響を与えることとなります。
左:歌川国芳「 駒くらべ盤上太平基」右:歌川国芳「宮本武蔵と巨鯨
」
