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小さいふ。アートシリーズ「星降る夜 」


フィンセント・ファン・ゴッホ

オランダ南部にて牧師の息子として生まれる。後期印象派の代表的な画家で、西洋美術史において多大な影響を与えた人物。
大胆な色使いと力強い筆致による技法を確立。代表作は「ひまわり」「星月夜」「夜のカフェテラス」など。

伝説の画家ゴッホ

早すぎた天才。生前に売れた絵は数枚だけ。

現在の世界的な名声に反して、生前のゴッホは貧しく評価を受けることなく人生を送った。

37年の生涯。画家として活動した期間はわずか10年間。

度重なる挫折に打ちのめされても絵筆を握り続け、不器用で情熱的な性格とその鮮やかな色彩から炎の画家と呼ばれる。

クアトロガッツの小さいふ。アートシリーズ「星降る夜 」
ゴッホのストーリーとともにお楽しみください。




小さいかばんアートシリーズ「星降る夜 」


内気で繊細な少年時代

本当に自然を愛するなら、どこにでも美しさを見つけることができる

ゴッホはオランダ南部の村フロート・ズンデルトで、6人兄弟の長男として生まれました。内気で繊細な少年時代を過ごし、草や木、昆虫といった自然を愛していたそう。

あまり学校には馴染めず、のちにゴッホは思春期について「厳しく冷たく不毛」だったと書いています。11歳の頃には父への誕生日に絵をプレゼントするなど、幼いころから芸術に対する関心がありました。
「夜のカフェテラス」1888年9月 アルル


聖職者を目指すが挫折

舗装された道はたしかに歩くのは楽だ。しかしそこには花は咲かない。


99回倒されても、100回目に立ち上がればよい。

学校を退学し、弟のテオが働いていた画商のグーピル商会に入りますが、ロンドンへの転勤も含めて7年間働いた後、叔父との関係の悪化が原因でクビになってしまいます。


牧師の家系に生まれたゴッホは貧しい人のために働きたいと考え聖職者を志します。貧民街で少年に聖書を教えたり、牧師の手伝いをしたりしながら、ベルギーの伝道師養成学校に通います。

そこで仮資格を経てベルギーの炭鉱町ボリナージュに伝道にいきますが、炭鉱夫に自分の服を与えるなどの行動が逆に奇異にとられ伝道協会からの採用を見送られてしまいます。

弟「テオの肖像画」 1887年 フランス


画家への転身

芸術とは人生に打ちのめされた人への慰めだ。


何があっても、私は再び立ち上がるだろう。大きな挫折の中で私が捨ててしまった私の鉛筆を拾い、私は私の描くことを続ける。

聖職者への道を断たれたゴッホですが、その間も絵を描き続けていました。テオの勧めあり画家への転身を決意します。

テオはゴッホの良き理解者として「今は認められていないが、いつかは売れる日が来よう」と生涯に渡り、ゴッホを金銭的にも精神的にもサポートしていきます。


オランダ、ベルギーを転々とし、貧しい生活を送りながらも画家として活動。同時期に活躍した画家たちと出会い交流を深めていき、明るい色彩や力強い筆触の作品を描きます。パリではのちに共同生活を送るゴーギャンと出会い自身の作風を見出していきました。
「ひまわり」1888年8月アルル ​


「日没の種まく人」1888年6月 アルル ​


黄色い家

私は絵を描く夢を見、そして私の夢を描く。


内なる声が「おまえには描けない」と言ったら、何としても描け。そうすれば何も言わなくなる。

パリからアルルへ拠点を移し、以前より計画していた芸術家たちの共同アトリエ「黄色い家」を創設。

この時代の作品には黄色がよく使われ、ひまわり・麦畑・葡萄畑などの自然をいきいきと描いています。日本の浮世絵にも出会い、影響を受けていたと言われています。アルルでは「夜のカフェ」「アルルの跳ね橋」「アルルの寝室」などの代表作が生まれてます。


黄色い家ではゴーギャンと共同生活を送りましたが、絵画への意見も含めて争いが絶えず2人の関係は悪化。ゴッホは精神的に不調をきたし自身の耳を切り落とす事件にまで発展してしまい、わずか二ヶ月で共同生活は終わりを迎えてしまいます。

1887年9月 パリ ゴッホが模写した歌川広重
「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」​​


「アルルの寝室」1888年10月アルル​​


「アルルの跳ね橋」1888年3月 アルル​​


ゴッホの晩年

何かを成し遂げようとする勇気を持たない人生など、一体どのような人生だというのか。


たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ。

事件をきっかけにゴッホはサン=レミの療養所に入ります。療養所の一室でも絵を描き続け「星月夜」「二本の糸杉」などの作品を描きます。


その後体調が回復した彼はパリの喧騒を離れて、農村オーヴェルのラヴー旅館に滞在しますが、そこで生涯を閉じることになります。世間では彼の作品への評価の兆しが出てきつつある頃でした。銃弾の傷による自死とも他殺ともいわれ、その最後は今も謎とされています。

「星月夜」1889年6月サン=レミ
ゴッホが亡くなる前年に描かれた作品​​


「花咲くアーモンドの木の枝」1890年2月 サン=レミ
テオに子が生まれたのを祝って制作した作品


ゴッホの功績

正しいかどうかは何もわからないが、星の輝きが私に夢を見させつづけるのだ。

わずか37歳という若さでこの世を去ったゴッホですが、およそ2000点の作品を残しました。その作品は彼の死後脚光を浴び、多大な影響を与え続けています。

画家として活動した期間はわずか10年間。その凝縮された生涯と鮮烈な作品は今もなお私たちの心に強く響いてきます。