ぼくは、人間もほかの生物も、生命の存在ということについてはまったく平等だ、と言いたいだけなのである。
(『ガラスの地球を救え』より)
戦争が終わった日に、「パッ」一斉に街の電灯がついて、思わず声を上げてバンザイをして涙を流したんです。
本当に嬉しかった、これは事実であります。
それが、その感動が、おそらく誰もが受けたと思うんですが、それが風化してしまって、また政府がきな臭い方向に向かおうとしている。
子どもたちのために、当然おとながそれを阻止しなければならないと同時に、子どもたち自身がそれを拒否するような人間にはぐくんでやらなければならないと思うのです。
それはどうゆうことでと申しますと、生きるということの喜びと、生きるということの大切さ、これを教えることではないかと思うのです。
人間だけではなく生命あるものすべてを救うために戦争だけは拒絶する、という心。
これを小さい時から子供たちに植えつける、子供の文化はそのうえに成り立つものでなければならない。
けっして反戦だとか、あるいは平和だとか、お題目のように並べているだけでは子どもはついてこないと思う。
率先して、命の大切さから教え説くということが大事ではないかと思うんです。
(手塚治虫「戦争体験は伝えていかなければならない」より ー 実際の音声はこちら)
むごい現実を見据えつつ、それでもなお、いかに不動に見える現実も、何とか変えていく力が人間にはあるのだ。
(『ガラスの地球を救え』より)
(人間は)残忍でウソツキで、嫉妬深く、他人を信用せず、浮気者で派手好きで、同じ仲間なのに虐殺し合う──醜い動物です。
しかし、それでもなお、やはり、ぼくは人間がいとおしい。
生きる物すべてがいとおしい。
(『ガラスの地球を救え』より)