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Contents


手塚治虫の少女漫画リボンの騎士と小さいふコラボ記念ブルボンヌさんインタビュー
(C)手塚プロダクション


手塚治虫のアニメ リボンの騎士のサファイアとチンク


クアトロガッツ×手塚治虫『リボンの騎士』コラボ記念 ブルボンヌさんインタビュー
漫画の神様 手塚治虫の作品とクアトロガッツのコラボ第7弾は男の子と女の子ふたつの心を持ったサファイア姫が、リボンの騎士として活躍するファンタジー『リボンの騎士』です。

6月はプライド月間「 プライドマンス」として、世界各地でLGBTQ+の人々の権利、コミュニティーへの支持を示す啓発的なイベントやパレードが行われます。

今回のコラボを記念して女装パフォーマー/ライターとしてテレビ・ラジオでも活躍中のブルボンヌさんに自身のプロデュースするバー『Campy! bar』にてお話を伺いました。


大人になってわかった『リボンの騎士』の凄さ

一番好きな登場人物「魔女の娘 ヘケート」

「誰かのために演じる必要なんてない」

「メタモルフォーゼ・変身」漫画の中では何にでもなれる

「女装は武装」ドラァグクィーン文化

『リボンの騎士』に見るフェミニズムと先見の明

グラデーションとしてジェンダーを捉える

「保守との戦い」『リボンの騎士』のお気に入りのシーン

『火の鳥』が教えてくれた世界の違う捉え方

時代ごとにいる「モノづくりのモンスターたち」


PROFILE
 


ブルボンヌ

女装パフォーマー/ライター。
1971年生まれ。岐阜県出身、岐阜高校卒業。

早稲田大学文学部在学中の1990年、ゲイのためのパソコン通信ネットワークを主宰。ゲイ雑誌『Badi』の主幹編集と同時に女装パフォーマー集団を主宰し、現在は新宿2丁目と渋谷PARCOで展開するジェンダー/セクシュアリティミックスバー「Campy!bar」をプロデュース。

『阿佐ヶ谷アパートメント』『フクチッチ』(NHKテレビ)、NHK放送総局長特賞受賞の『ラジオ保健室』(NHKラジオ第1)、文化放送、interfmなど多様性や福祉をテーマにした番組に出演。

LGBT問題を扱った連続ドラマ『俺のスカート、どこ行った?』『ファーストペンギン!』(日本テレビ系)キャラクター監修。日本民間放送連盟賞テレビドラマ部門中央審査員(2022〜24年)。『オレンジページ』『岐阜新聞』連載。近年では全国自治体や企業、学校でジェンダーや自己肯定感に関する講師も多数務める。




手塚治虫

1928年11月3日、大阪府生まれ 本名 手塚治。1946年4コママンガ『マアチャンの日記帳』でデビュー。1947年ストーリーマンガ『新寳島』を発表。新しいマンガの時代を築いて常に戦後マンガ界の第一人者として活動すると同時に、後進のマンガ家達にも多大な影響を与える。1962年に虫プロを設立し、1963年国産初の30分連続TVアニメ『鉄腕アトム』の放送を開始する。アニメの世界でも開拓・発展にも多大な功績を残す。1989年2月9日、60年の生涯を閉じる。
 
※手塚治虫の「塚」の字は、正しくは旧字体(塚にヽのある字)となります


ブルボンヌさんと手塚治虫のマンガリボンの騎士とコラボした小さいふ
素顔のブルボンヌさん


手塚治虫のマンガリボンの騎士とコラボした小さいふはコンパクトで便利なリボンの騎士グッズ
リトルモア『リボンの騎士』


大人になってわかった
『リボンの騎士』の凄さ


クアトロガッツ

リボンの騎士は日本のストーリー少女漫画第一号として、少女向けに1953年に連載されました。ブルボンヌさんが初めて『リボンの騎士』を読んだ時の感想を聞かせていただけますか?

ブルボンヌ

初めて読んだ時の感想は…ほんとだったら「もう最高でした」って言いたいんですけど、そうでもないんです。リアルタイムの漫画家さんだと、自分はさらに後の鳥山明さんとかの世代なので、読んだ当時は手塚作品がもう出揃った後になるんですよね。そうすると代表作でご本人のライフワークとしても有名な『火の鳥』とかにまず夢中になっちゃうんですよ。

『リボンの騎士』はご本人もまだ20代の頃とかに描かれたものなので、 『火の鳥』を読んだ後だと、そこまでの深みはないかな、なんて印象でした。あとは少女漫画枠だったので、普段よりもお姫様っぽいビジュアルのシーンが多く可愛らしすぎたことも、 壮大さを知った手塚作品の中では響くものじゃなかったんでしょうね。
『火の鳥』からの引き算のイメージがあったんですよ。なので、『リボンの騎士』が持つ、性にまつわるテーマの深さまではまだ見抜けてなかったところがあります。

あともう一つ、自分なりに考えてみて気づいたのが、やっぱりうちらは子どもの頃に男女(おとこおんな)なんて言われて、中性性をネガティブなイメージで受け止めてたってことです。
今となっては「はい。まさにアタシは男女(おとこおんな)です〜」って言いたいぐらいに、世間が思う男性性と女性性を使い分けることを自覚してるんだけど、当時は自分の中から出てくるフェミニンな部分を、周りの子がオカマとか男女(おとこおんな)なんて、からかってくるもんだから、男性(おとこせい)女性(おんなせい)みたいな今で言うジェンダーの問題を、むしろ向き合いたくないものとして捉えてたのかもしれない。

そういう意味でも、見たくないという意味で当初はそんなに好きでもなかったんじゃないかなって後で気づきましたね。今はこんなに「これ、すごいわ」って思えるものに、当時はそんなに喜べなかったっていうのは、つまり自分自身と向き合えてなかった、肯定できなかった子供時代の証明でもあるのかもしれません。

クアトロガッツ

もう小学生の頃から手塚作品を読んでたんですか?

ブルボンヌ

いえ、中〜高校生ぐらいですね。小学校の時は少年ジャンプ全盛時代だったので、まず流行ってるリアルタイムの作品から入って、漫画文化自体にハマってから、有名な作品を遡って読もうみたいになっていたんですよね。

例えば美内すずえ先生の『ガラスの仮面』とかもゲイのオネエさんたちにテッパンで愛されてる作品なんですけど、そのあたりが実際の連載時期に10代だった人って今はかなりババア…歳がいってるはず。自分も手塚作品を読み始めた頃は、大人向けの作品から入って、遡って読みました。

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リトルモア『リボンの騎士』


一番好きな登場人物
「魔女の娘 ヘケート 」


クアトロガッツ

『リボンの騎士』の一番好きな登場人物は誰ですか?

ブルボンヌ

これはもう、ヘケートっていう魔女の娘が圧倒的に大好きなキャラです。もちろん主人公のサファイアも男装と女装を使い分ける、自分もシンパシーを感じるキャラクターだし、葛藤や背負っている思いもわかるんだけど、それでも「え?なんでそんな感じ?」みたいなシーンも多いんですよ。

設定からして、天使に男の心を入れられちゃったとか、女の心を奪われたりとか、心の入れ替わりが急な感情の変化として現れるんですが、逆に言うとこの子の本質は何なのかなって、謎に感じることも多いキャラクターではあるんです。まあ、そこも先見の明がある描き方かもと、そのあとで思うんですけど。

それに比べるとヘケートていうのは本当にちゃんと自分を持ってる子。パンツスタイルで、いわゆる亜麻色の髪の乙女になった時のサファイアみたいなブリブリの女性性ではないけど、サイドのポニーテールにしてたりして、男装でもない。ナチュラルに自分の好きなファッションスタイルを楽しんでいるのが1番わかるキャラクターで、ゴリゴリの男性性でもゴリゴリの女性性でもない、おませかつ、おきゃんな感じのキャラクターで。

サファイアは乙女に変身した時、言葉遣いもすごく丁寧に可憐な感じになるのに対して、ヘケートはハスッパなギャルみたいなサバサバした子なんですよね。そういうキャラクターが、魔女のお母さん、ヘル夫人に「もっと女らしくしなさい。そうしないとお嫁さんとして喜ばれないわよ。」なんて言われちゃうわけですよ。

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リトルモア『リボンの騎士』


そのためにサファイアの持つ女の心を抜き取ってヘケートにあげようとする。ちょっと強引な設定ではあるんだけど、誰かから女の心っていうものを奪って、それを無理やり入れることで、世の中が求めてる「女らしい娘」像にしようとするのが魔女のお母さんだとすると、ヘケートはそんなことをしようとする馬鹿らしさをさらっと一言で言ってのけてて。

自分っていうものがちゃんとあるのに外から無理やり「女らしさ」を入れることにも、そもそもサファイアという他人が持つ女の子の心を奪うようなことにも全部納得がいってないんです。なので、女の子の心を飲んだかのような振りをして、とりあえず表面的に女の子のドレス着てごまかして魔女の母を安心させたり、「この心は本人のものだから」って結構大変な思いまでしてサファイアに女の子の心を返しに行ったりするっていう、ものすごく真っ当な子なんです。

私は悪役の中の善意ってのが昔から好きなんですよね。昔ながらの勧善懲悪で描かれた悪役って、物語を盛り上げるために無理やり悪を背負わされてましたが、ここ最近は、実は悪とされていた側にも事情があるんじゃないか、相手側の目線になったらまた善と悪って入れ替わるんじゃないか、みたいな作品も増えてて。

多分このヘケートの魔女の母、ヘル夫人ってビジュアル的にはマレフィセント(1959年公開のディズニーの長編アニメーション映画『眠れる森の美女』に登場する悪役)がモデルになってると思うんです。角が生えてて、イバラを強調したシーンもあって。
でも、そんなマレフィセントも近年になってアンジェリーナジョリーが演じた時には、悪役サイドの切ない事情も描いています。娘のヘケートが持つ善の部分を見ると、『リボンの騎士』は先にやってたというか、悪側にある真っ当な部分をヘケートが背負ってる。

最期、ヘケートはお母さんに作られた存在だから、母さんを倒されると自分も死んじゃうのをわかってて、母を倒す側の味方をするんです。そんな風に死ぬ時の言葉も結構あっさりしてて、いろんな覚悟を感じる、本当に惚れ惚れするキャラクターなんです。

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リトルモア『リボンの騎士』


「誰かのために演じる必要なんてない」


ブルボンヌ

実はなかよし版と少女クラブ版ではヘケートの死の演出が違っていて、少女クラブ版では、死んだヘケートからは男の子の心だけが出てくるんですよ。だから設定的にはサファイアは女の子の体に、男の子の心と女の子の心を両方入れられてる存在なのに対して、ヘケートは女の子の体に男の子の心だけが入っていた存在のように見てとれます。まさに今でいうトランスジェンダー男子寄りなタイプだったのかもしれないですよね。

それに比べて、サファイアがややこしいのは、まず設定上も両方の心が入ってる上に、国を背負う王子としても男を演じさせたっていう二重構造になっている。まさに性には、本人が持つ性と、社会が定義したり期待している性っていう、ふたつの側面があるのと同じ。英単語で言うセックスが生物学的・遺伝子学的な性で、ジェンダーが社会的・文化的な性だとすると、サファイアは「女子は王位を継げない」から、男のふりをしなければいけなかったっていう、男性ジェンダーも背負わされていたんです。

サファイアは両方の心を持っているのに、公では期待に応えて男のふりだけをしなきゃいけない分、こっそりと女の子らしく過ごす時間に、とても幸せそうにもなる。それに対してヘケートは一貫してボーイッシュな設定で、本人の感覚にブレがないし、周りから性ひょうげんを押し付けられること自体が間違ってるんだっていうことにも気づいている。

サファイアはジェンダーの押し付けをとりあえず飲み込んで、演じることをやってのける立場だけど、ヘケートは誰かのために性を演じる必要なんてないってことを体現してたキャラクターなんです。一番現代的で、口は悪くても人格者で、哀しい最期も含めて本当に愛すべきキャラクターです。

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リトルモア『リボンの騎士』


「メタモルフォーゼ・変身」
漫画の中では何にでもなれる


クアトロガッツ

サファイアが男と女を行き来しながら、衣装を変えて心理的にも揺れ動く様子を描かれていますが、リボンの騎士に限らず手塚作品に多いメタモルフォーゼ(変身)について感じることはありますか?

ブルボンヌ

手塚先生は、創作物がくれる非現実のパワーをとても分かってらして、その象徴の一つに「変身」要素もあったのでは。現実の世界はのっぴきならないけど、漫画を読んでいるあなたの心は何にだってなれるんだよとか、思い切って外見を変えたらどうなるだろうとか。自分を固定しないでねというメッセージも感じるし、それって日本人にとくに多い、周りの目を気にして期待や常識に沿った姿で生きようとしてしまうことからの解放にも感じます。その仮面を取っ払うことを心の底では求めている人が多いはずだという、サービスやエールでもあったんじゃないかなと思います。

私たちオネエ寄りのゲイの文化でも変身魔法少女みたいなキャラは大人気です。私は世代的にキューティーハニーが大好きだったんですけど、永井豪先生のジェンダー表現もすごいんですよね。ゴリゴリの巨大マッチョなんだけどおっぱいもある女性キャラクターが出てきたりとか。ハニーもライダースからマダムまでいろんなタイプの女性像に変身して覆面の男たちをなぎ倒すんです。でも敵も、下っ端の覆面ザコは男たちなんだけど、幹部以上は全員女性っていう。善悪どっちも女性たちが上位で、強く戦う姿を描いているので、こちらも考えるとすごい設定だと思います。

自分の世代より少し下になるとセーラームーン、さらに下の世代ではプリキュアみたいに、ゲイのオネエさんたちは変身魔法少女好きを受け継いでる。普段は周りに男の子らしさを要求されてきたけれど、本当は華やかに装ったり、ポーズを決めたりしたい気持ちがくすぐられて。変身って、大人しくしたり周囲の期待に応えた姿からの、本当にありたい姿に気づかせてくれる表現要素なんじゃないかなと思います。

手塚治虫のリボンの騎士 漫画 マンガ リトルモア ミニ財布・小さいふと一緒に
リトルモア『リボンの騎士』


「女装は武装」
ドラァグクィーン文化


クアトロガッツ

ドラァグクィーンの格好してる方とかを見ると、すごい圧倒されますよね。変身後って感じがして。

ブルボンヌ

ねー! 魔法少女というよりは、みんな悪役の魔女のほうに変身してる感じですけど(笑)。「女装は武装」なんていう名言もあったりします。

子供の頃に「男のくせに」と言われる女性性が漏れ出て馬鹿にされたからこそ、その抑圧も込みで、大人になってステージの上で溜まりに溜まった女性性を濃縮爆発させる。自分の中の隠さなきゃいけないものとして子供の頃は捉えていた部分を解放してショーに昇華する文化が世界中にあるんです。

主にゲイ男性たちがやってるドラァグクィーン文化は、パートタイムで出す、やり過ぎの女性性。トランスジェンダーの女性は日常としての一般的な女性性を表現する方が多いですが、 ゲイ男性の中にある女性性は極端な使い分けこそが味になるんですよね。

だからトランスジェンダーの女性は、一般の女性の中に埋没したいっていう人が多いんです。うちらは逆に、身体男性だとバレないと困るというか、ショーやパロディ的な表現として、世の中が思う女性性をてんこ盛りにした、普通の女性以上の女性性のモンスター。付けまつげ3枚、4枚つけちゃいますとか、オバQ並のオーバーリップで口紅かいちゃいますってことになるっていう。

手塚治虫のリボンの騎士 漫画 マンガ リトルモア ミニ財布・小さいふと一緒に
様々な装いのブルボンヌさん


『リボンの騎士』に見る
フェミニズムと先見の明


クアトロガッツ

サファイアは男と女をいったり来たりする現代でいうXジェンダーと受け取ることもできます。LGBTQは今でこそ理解され始めてますが『リボンの騎士』は今から70年も前で攻めた題材だったと思います。そのあたりについて感じることはありますか?

ブルボンヌ

そう、本当に偉大で。やっぱりこういうことってコロンブスの卵的な話で、そんな論調や前提が全然なかった時に表現された人はものすごい。

そもそもフェミニズム運動が広がったのってアメリカでも60年代後半なんですよ。この作品は1953年に初版が描かれていて、リメイクの「なかよし版」ですら60年代前半に始まっているから、いかに世界の潮流の中でも画期的に早いことをしていたかってことですよね。

今フェミニズムってさらっと言ったんですけど、ジェンダーとかを解き明かすことと同時に、そもそもその社会的、文化的な性差においては女性の方が差別されてきたんだよっていうことを、子供向けの、しかも女の子が読む雑誌で描いたってのもすごいことで。

現実でも、世界的にフェミニズムっていうのは広がっていったし日本にも輸入されるんだけれども、まずはやっぱり社会の中で生きていくしんどさを実感している女性たち、例えば働こうとしたけど性別による職業差別があるとか、そこに直面した人たちが「なんとかしなきゃ」って思うこと。でもそれより数年前に、少女雑誌の漫画の中でそのことをはっきり言葉にしてたんです。
「王位を女性が継げないのは差別でしょう」みたいな台詞だったり、サファイアが女性だとバレた後で悪い扱いを受けた時には、お城の女性たちがそれを守って「じゃあそんなふうに女性を馬鹿にするなら、あなたたちが女性にやらせている仕事をもうしません」みたいにストをして、そこで初めて女性が担っていることの大変さに気づき、結局男たちが降参して仲良くしました、みたいなオチまで描かれているんです。

手塚治虫の漫画 リボンの騎士 コラボ ミニ財布・小さい財布「小さいふ」と一緒に


男を抑えて男より上に立ちたいというのではなく、どちらも大事だから両方がそれぞれ良い形で平等に活躍して、仲良い在り方を目指そうといっている。その後何十年も続くフェミニズム運動と、その最終的に目指すべき姿まで、この時代の少女向けの漫画で伝えちゃってるって、本当に先見の明がありすぎる。

あと、元々男女入れ替えネタは平安時代の『とりかへばや物語』とか色々な作品にもあるんだけれど、『リボンの騎士』はもっと深い、今で言うジェンダーの視点に近いものですよね。社会がイメージする男の心、女の心、両方を持っている人もいれば、片方だけの人もいるとか、周りから期待されていることを演じるって意味からもジェンダーが作られるとか、今の考え方に近い表現がいっぱいで。

なんなら、最初読んだ時は私も性的少数者の当事者なのに、「サファイアって男女どっちつかずじゃない?」って違和感を抱いたりもしたんですよ。それくらい、性的少数者自身も昔は今でいうXジェンダーの概念がピンと来てなかった。女になりたいの?男になりたいの?どっちかはっきりして、なんて感じてました。

でも今は「ジェンダーフルイド」なんて言葉があるくらいで、時期によってその人の中のジェンダーが揺れ動くこともあるっていう定義も生まれている、70年近く前に手塚治虫さんはストーリーの中で、ジェンダーフルイド的な形まで描いていた。決めつけたほうがわかりやすいのに、意味がわかんないと突っ込まれかねない揺らぎの設定にしていることもすごいことだと思うんです。

手塚治虫の漫画 リボンの騎士 コラボ ミニ財布・小さい財布「小さいふ」と一緒に


グラデーションとして
ジェンダーを捉える


クアトロガッツ

今の若い子と話していると社会からどういう風に思われるんだろうっていうのを昔よりも気にしてる様子を感じます。

ブルボンヌ

そうだよね。今時の若い子って、恋愛でも自分から出てくる欲求だけじゃなくて、恋愛が始まってしまったら応えなきゃいけないことへの面倒くささのほうに目がいっちゃうみたいなね。子供の頃から、心ない匿名の目に批判されるかもしれないって感覚で生きたネットネイティブ世代ならではの、常に周りが自分をどう評価するか、「いいね」がいくつつくかみたいなところを、自分の行動に対して感じてるんだろうなと思う。

面白いのは、サファイアってフランツ王子の前で振る舞う乙女っぽさを考えると、「じゃあ内側はほぼ女子の心のみ?」って見えていたんだけど、最後の最後で結ばれたハッピーエンドのしーんでポロっという言葉が「ええ、そしてあなたと式をあげるわ! ウエディングドレスを着て、女のなりで宣誓をするわ」って言うんですよ。なりって!(笑) 立場に合わせてこなさなきゃいけない表現としての女性性を、客観的に受け止めている言葉ですよね。

手塚治虫のリボンの騎士 コラボ小さいふ ミニ財布


例えば男性ホルモン、女性ホルモンみたいに俗にいわれてるけど、それはあくまで量が女性の方が分泌が多いのはエストロゲン、男性の方が分泌が多いのは テストステロンってことだけなので、両方ともお互いにあるんですよね。

つまり、ちょっとの男的な心とたくさんの女的な心、ちょっとの女的な心とたくさんの男的な心、という状態とも言える。むしろその両方ある人間たちが、たくさんの方ばかりの役割、性質だって決めつけられていて。

実は個人差もすごく大きいってところが無視されちゃって、0:100で男はこう、女はこう、で長らくきたことって実態からずれちゃってるし、そのズレの部分で生まれた苦しみとか、能力を発揮できなかったもったいなさも生み出す。
無視したりカットしてきた部分に、その人の魅力が本当はいっぱいあったんだろうなって。社会が決めつけてきたジェンダーと、自分自身から湧き上がるいわゆる男性性や女性性、その両方がグラデーションだっていうことも、暗示してくれてるんですよね。

手塚治虫の漫画 リボンの騎士 コラボ コンパクトなミニ財布・小さい財布「小さいふ」と一緒に


保守との戦いが描かれた
お気に入りのシーン


クアトロガッツ

『リボンの騎士』のお気に入りのシーンはどこですか?

ブルボンヌ

いっぱいあるんですけど、やっぱりサファイアが女だったことがバレて急に王様の資格がないと言われたことに対して、城の女性たちがサファイアを守って男対女の構図で戦ったシーンですね。

今はいろんな企業さんからジェンダやLGBTについての講演依頼をいただくんですけど、そういうプロジェクトを動かしてる社内ダイバーシティチームって圧倒的に女性、そして性的少数者当事者の人が多くて、ストレート男性で熱心に参加する人ってまだまだ少ないんですよ。

やっぱり時代が変わったとはいえ、結局、下側にいるとされてる女性や性的少数者がこの抑圧状態を変えなきゃっていう課題を感じてる動き出している。男性社員側は、別にそんなことやらなくてもって内心思いながら、こういう時代だからそのチームが社内にあることを否定はしないけど、一歩引いた立場でいるんだろうなって。
当時と比べると時代は変化したって言われるけど、手塚先生が伝えてくれたことと同じ課題はずっと引きずってるなと思う感じがありますね。

だからこそ、こんなに早く、今もクリアできていない課題を描いて、ちゃんと女性たちの意見をキャラクターたちのセリフで表現して、かつ最後は男性が折れて、折れたといっても上下逆転するんじゃなく「平等に仲良くね」と。

よく言われることで、フェミニズムにしてもLGBTQの権利運動にしても、ストレートで保守的な考えの男性たちの一部は、まるで自分たちより上に行こうとしてる、自分たちから奪おうとしてる、みたいに恐れて反発心を覚えがち。低い立場のやつらが偉そうに振る舞うな、みたいに結局上から考えている男性がまだ多いんですよね。そうじゃなくて、平等を求めてるんだよということ。ほんとに先進的で鋭いシーンだと思いました。

手塚治虫の漫画 リボンの騎士 コラボ  大容量のミニ財布・小さい財布「小さいふ」


『火の鳥』が教えてくれた
世界の違う捉え方


クアトロガッツ

手塚治虫の作品数は約700タイトル、ページ数にして約15万枚だそうですが『リボンの騎士』以外でブルボンヌさんおすすめの手塚作品はありますか?

ブルボンヌ

初めての手塚作品は『火の鳥』なんですよ。『火の鳥』ってまさに宇宙規模のテーマで、時代も奈良時代から遥か未来まで色々な設定があって、そもそものスケールが大きい話の中なんですが、火の鳥がどこまでも大きい世界とどこまでも小さい世界に行くシーンがあるんですよ。

そうすると、小ささ、大きさって、人間の大きさを基準に考えてるけど、どんどん科学が発達すると、もっと小さいものが発見されたりするじゃないですか。だから、本当はどこまであるのかわからない。どんどんどんどん小さいところに行ったら、そこにまた1つの宇宙があったってのを見せてくれるシーンに「これだ!」と思いました。

尺度っていうのはあくまで自分基準で決めてることに過ぎない。哲学の基礎みたいなもので、昔から言われてきたことではあるんだけど、子供心にも沁みましたね。

どこに目線を置くかで、何もかもちっぽけな話にもなるし。だけど今度は、自分っていうものに寄っていけば、ちょっとしたことでも譲れない大ごとになったりもする。

例えば、当時自分が、「普通ではない」同性好きだってことで「この先普通に生きていけるんだろうか」みたいに不安に思っていた思春期において、尺度が変わればどうでもいいこと、全ては目線次第だよと教えてもらえたんです。どこに基準を置くかで、いくらでも世界は違って見える。

手塚治虫の漫画 火の鳥 コラボ ミニ財布・小さい財布「小さいふ」
手塚治虫『火の鳥』×クアトロガッツ「小さいふ。」


もう1つは『MW(ムウ)』、手塚さんが大人向け漫画を描くようになった、初期の『リボンの騎士』とは真逆の時代、「黒手塚」なんて呼ばれる作品の一つです。まだ70年代という、メディアでのゲイの扱いが全然だった時代に、善悪を象徴した主人公二人をゲイ設定にして、男性同士の恋愛と肉体関係を描いている。

劇中では同性愛がスキャンダルとして週刊誌に撮られ、社会的に抹殺されそうになるシーンがあるんだけど、それを週刊誌の女傑と呼ばれる女性編集者が握り潰すんです。「あれはボツにしました。くだらないガセネタです(中略)」「神父さま(主人公のうちの一人)、世界中で同性愛が差別されているのは日本だけですわ。アメリカなどは州によって法律で、認められているんです」というセリフまで出てきて、しかも最後のオチでその女性記者が自宅に帰ると女性の恋人が待っているという。

メディア側は同性愛をスキャンダルとして悪く書くような時代だったけど、手塚さんは同性愛は別に悪いことじゃないという思いと、性的少数者同士が助け合う姿をさらっとあの時代に書いてくれた。

『リボンの騎士』がジェンダーやフェミニズムをテーマにしたなら、『MW(ムウ)』は性的指向を明確に描いている。それこそね、主人公の一人は、男女どころか犬とも愛し合ったりするんですよ。ちょっと引いちゃう人いるかもしれないけど、こんなことしちゃいけないって言えるのってどこからだろうって。

いわゆるピカレスクロマンなので、女装も綺麗な主人公が悪者としてひどいことはするんだけど、米軍や日本政府、国や権威こそが虐殺をして隠蔽したりと、もっと悪いことをしてる。MWがマンとウーマンの反転を含んでいるように、善と悪も反転しうる。大人向け作品らしい深いメッセージがありました。

手塚治虫の漫画 火の鳥 コラボ ミニ財布・小さい財布「小さいふ」
(C)手塚プロダクション / 小学館クリエイティブ


時代ごとにいる
「モノづくりのモンスターたち」


クアトロガッツ

最後に『リボンの騎士』をこれから読む方、また読み直す方に一言お願いします。

ブルボンヌ

今の時代、信じられないぐらい漫画の数がありますよね。そういうコンテンツに溢れた時代って、新しいものを追うだけで精一杯だと思うんだけれども、やっぱり時代ごとに天才がいます。
ネットがあってなんでも発表しやすいから優れた作品はブレイクもしやすいし、たくさん発掘されることは素敵だなと思うんだけど、逆に言えば流通がそう簡単じゃなかった時代にそこを乗り越えて、みんなの気持ちを集められた時代ごとの大作家さんたちのモノづくりには、とんでもないレベルの作品も多いので、ぜひとも過去の名作にも触れてほしいなって思いますね発表年月が古いからといって読まないのは本当にもったいないことだと思います。

そういう意味では、漫画好きの人であれば、その文化の始祖と言われる手塚治虫さんの偉業を知ること、まさに今の時代に広く語られ始めたジェンダーやフェミニズムのテーマを、こんなにポップな感じで70年前の少女たちに伝えていたすごさも含めて、知っていただけたらと思います。

自分自身もそうですが、改めて読み返す人にとっても、当時は『火の鳥』に比べるとちょっと子供向けだなと思っていた人たちも、子供向けの枠だからこそ、その枠内で伝えようとしてくれた思いに気づける2回目の感動があるのでは。
手塚プロダクションさんがKindleなどで1冊目を読み放題にしてくれていたりして、入り口には入りやすくなっていますよ!

手塚治虫公式サイト リボンの騎士
手塚治虫公式サイト『リボンの騎士』


とっても物腰柔らかく、その場の空気を柔らかく包み込みこんでくれたブルボンヌさん。

そんなブルボンヌさんの視点からリボンの騎士を読むとこんなにも奥深いものになるんだと感銘を受けたのと同時に、改めて手塚作品の凄さを感じたとても有意義な時間でした。

沢山の貴重なお話本当にありがとうございました♪

手塚治虫のリボンの騎士 コラボ小さいふと ブルボンヌさん
左:クアトロガッツ代表中辻大也/中:ブルボンヌさん/左:クアトロガッツデザイナー中辻渚


手塚治虫『リボンの騎士』×クアトロガッツ
漫画の神様 手塚治虫の作品とクアトロガッツのコラボ第7弾は『リボンの騎士』です。

男の子と女の子ふたつの心を持ったサファイア姫が、リボンの騎士として活躍するファンタジー『リボンの騎士』。

主人公のサファイアと、その運命を左右する天使のチンクがデザインされたレトロでかわいいミニ財布「小さいふ。」ができました。

手塚治虫の少女漫画リボンの騎士とコラボミニ財布 小さいふ。コンチャ