小さい財布 小さいふ クアトロガッツ




小さいふコンチャ「睡蓮の庭」




クロード・モネ

1840年フランス・パリに生まれる。
印象派を創設。代表作「印象・日の出」は印象派の名前の由来になりました。
自然の中では物(モチーフ)の見え方が刻一刻と変化することに注目し、素早い筆使いで鮮やかな光の色彩を表現しています。
”自身が感じたままを表現する”という印象派の哲学を、生涯に渡り実践した芸術家。


光の画家モネ

自分にしか描けない光を生涯追い求めた。

”自身が感じたままを表現する”という印象派を創設。

印象派は批評家から酷評で30代は困窮した生活を送る。

睡蓮を描き始めたのは50代後半。晩年は失いつつある視力に悩みながら200枚以上の睡蓮モチーフの絵を描いた。


クアトロガッツの小さいふ。アートシリーズ「睡蓮の庭」
モネのストーリーとともにお楽しみください。

小さいかばん「睡蓮の庭」




少年時代

私は鳥が歌うように、絵を描きたい。



1840年。クロード・モネはフランスで生まれます。少年時代をノルマンディー地方で過ごし、その頃から絵の才能を見せます。

ルアーブル中等芸術学校に入学し、その頃風景画家のブーダンと出会い油絵を習います。19歳でパリのアカデミースイスで絵の勉強を続け、その後サロンでの入選を目指しますが入選することはありませんでした。

1869年「ラ・グルヌイエール」風で揺れる水面が表現されている


印象派の誕生

私の人生はずっと失敗だった。



1874年、モネが33歳の頃、当時の美術界の中心だった宗教画、神話画といった古典的な美術教育に疑問もった仲間の画家たちと共に、自分たちでお金を出し合い、パリ・キャピュシーヌ大通りの写真家ナダールの写真館にて「第1回印象派展」を開催します。



印象派展にモネは計11点の作品を出品しましたが、当時の主流の画風とは違い、自分たちが感じたままを描く彼らの絵は、当時のほとんどの批評家から酷評されました。

この展覧会に出品したモネの代表作「印象派・日の出」が”印象派”と呼ばれるきっかけになります。

1872年「印象派・日の出」


光の画家

ほんとうに海を描くには、その場所の生活を熟知するため、同じ所で、毎日、毎時間、眺めつづけなければならない。だから、僕は同じモチーフを4回も6回も繰り返し描き続けている


すべては千変万化する。石でさえも。



変わり続ける変化を描くため素早く筆を動かすことにより、モネの画風の特徴である大胆なタッチが生まれました。

時間や季節とともに移う光の変化を表現し続けたモネ。
感じたままを表現し、自分にしか描けない光を追い求めました。



印象派は評価をされず経済的な困窮が続く中で、モネが38歳の頃、次男の誕生後に妻のカミーユが亡くなるという不幸にみまわれます。その後、モネは再びサロンに出展して入選したことをきっかけに長かった経済的な困窮から抜け出すことになります。

1875年「散歩、日傘をさす女性」


ジャポニスム

私は自然を追い求めているが、その本質は未だに把握できていない。こうして画家になれたのも、草花たちのおかげなのかも知れないな。



日本の開国後は海外でも日本の美術が見られるようになり、パリを中心に日本ブームが巻き起こります。異国の地で生まれた作品の技法や異なる色彩感覚に強い衝撃をうけたそう。



当時の印象派の画家たちも影響をうけ、モネの自宅からは233枚もの浮世絵が見つかり、日本趣味に傾倒していた様子がうかがえます。モネ代表作の1つ「ラ・ジャポネーズ」は和装し扇子を持ってポーズを決める妻のカミーユが描かれています。

モネの「睡蓮」や「積みわら」などの作品に見られる連作は浮世絵の影響だと言われています。


1876年「ラ・ジャポネーズ」


1891年「積みわら、日没」


睡蓮

私は妖精が創ったかのような所にすっかり落ち着いている。



モネの代表作というと「睡蓮」が有名ですが、なんと彼は、睡蓮モチーフの絵を生涯で200点以上も描いています。



晩年を過ごしたアトリエには庭園があり、自らデザインした理想の庭に池を作り「睡蓮」を描き続きました。

作品の中には日本庭園に見られる太鼓橋を描いていたり、日本文化の影響を感じることができます。

1899年「睡蓮の池と日本の橋」


光を描き続けた

盲目で生まれたかった。そしてある日突然目が見えるようになりたかった。


私の願いはいつもこのように自然の片隅で静かに暮らすことだ。



”光の画家”と呼ばれたモネは、刻一刻と変わり続ける風景や光を、ありのまま描くことが生涯のテーマでした。



睡蓮の連作を描きはじめたのは50代後半の頃でした。晩年には目の病気のため視力が衰え、絵の具の色も識別できないほど悪化していたと言われています。

失いつつある視力に悩みながらも、水面にキラキラと反射する美しい光を描きたいと絵筆を握り続けたモネ。その作品は世界を巡って人々に感動を与え続けています。