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バウ


2019.10.19 21:00発売
パウル・クレー

クレーは1879年にスイスで産まれました。
「色彩と線の魔術師」と言われ、繊細で深淵な色と大胆かつ無駄のない線を巧みに操るその絵は驚くほど緻密でリズムに溢れています。
音楽への深い造詣
父親はドイツ人の音楽教育者、母親はスイス人の声楽家の音楽一家に産まれ、自身も7歳でバイオリンを習い始めました。
11歳でベルン市管弦楽団に籍を置きその後もオーケストラへの出演、趣味でも数時間演奏を続けるなど、その技術は一流と言えるものだったそうです。
妻であるリリーもクレーの無名時代にはピアノの教師として家計を支えていました。

芸術の本質は、見えるものをそのまま再現するのではなく、目に見えないものを見えるようにするものである


作品にも音楽の影響は色濃く、カンディンスキー、モンドリアンなどと共に現代でも大きな影響を与え続ける伝説的な美術学校「バウハウス」で教鞭をとっていた際には音楽理論を踏まえた授業を展開していたそうです。

窓辺でドローイングをする人
色と、画家
そんなクレーですがアフリカのチュニジアへ旅行へ赴き、その地で色彩に目覚めたと日記に記しています。

色は、私を捉えた。自分のほうから色を捜し求めるまでもない。私にはよくわかる。色は、私を永遠に捉えたのだ。私と色とは一体だ


この旅行よりのちの作品には、以前よりも色彩豊かな作品が増えクレーの表現の幅がさらに広がったと言われています。

南チュニジアの庭
迫害と病
当時政権をとったナチスに追われ、生まれ故郷であるスイスのベルンへ移り住みました。
さらにナチスは近代美術や前衛芸術を退廃芸術であるとし、クレーもドイツ国内で展示されていた102点の作品を没収されてしまいます。

さらに皮膚硬化症を患い、手が思うように動かなくなっていきます。
そんな中で魂が苦難にあらがうかのように亡くなる前の年となった1939年には最多となる1253点を製作。
晩年は太い線を大胆に使った作品や天使をモチーフにした作品など、新たな境地へ達し「この時期こそが最も作風豊かである」とも言われています。

そしてクレーは享年60才で人生の幕を閉じました。
ベルンにはパウル・クレー・センターがあり、4,000点以上の作品が収蔵され現在も多くの人に影響を与え続けています。

忘れっぽい天使


この小さいふはパウル・クレーの絵画データを使用しています。
絵画イメージは全て著作権の保護期間を経過して社会の公共財産となったパブリックドメインの絵画となります。わたしたちがパウル・クレーを心から好きという気持ちから小さいふをつくりました。
純粋にみなさまにパウル・クレーという偉大な画家のことをより深く知って頂ければと思っております。



2019.10.19 21:00発売